-
最寄駅近鉄「壺阪山駅」
-
開閉門時間8:30〜17:00
-
電話番号
-
Web
-
対応言語
サービス一覧
つぼさか茶屋
お食事処
レンタル傘
バリアフリー
ペット同伴
トイレ
授乳
おむつ替え
クレジット
カード
電子マネー
自動販売機
宿坊
境内ベンチあり
休憩所
路面
(舗装済)
周遊時間
(15分以上)
コインロッカー
概要
基本情報
みどころ
⾏事・
イベント
イベント
アクセス
概要
-
正式名南法華寺(壺阪寺)(みなみほっけじ)
-
宗派
-
本尊十一面千手観世音菩薩
-
開⼭・開基弁基上人
-
御朱印
西国三十三所 第六番御朱印
西国三十三所 第六番御詠歌御朱印
西国三十三所 第六番江戸復刻朱印
高取城御城印
壷阪寺星祭り 北斗七星印(7種類)
京都の奈良の眼の観音様 楊谷寺×壷阪寺 ご結縁「眼のご朱印」
-
創建大宝3年(703)年
-
ご詠歌岩をたて 水をたたえて 壷阪の 庭のいさごも 浄土なるらん
-
墓・納骨堂についてあり
-
宗派の開祖弘法大師
-
歴史創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。
平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。
この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。
その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。
しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。
一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。
近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。
明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。
戦後、壷阪寺は社会福祉活動に貢献し、昭和36年には、多くの善意が結実して、日本最初の養護盲老人ホーム「慈母園」を設立。現在も国内各地で社会福祉活動に寄与している。
また、昭和39年より、インドにてハンセン病患者救済活動に着手し、教育助成事業や地域開発援助などの国際奉仕活動を、現在もインド各地にて幅広く行っている。 -
札所等西国三十三所観音霊場第六番札所
-
ご利益
ご祈祷・お祓い
-
種類
-
受付についてネット、郵便、FAXにて申込
引用元
https://www.tsubosaka1300.or.jp/
基本情報
-
名称南法華寺(壺阪寺)(みなみほっけじ)
-
所在地〒635-0102
奈良県高市郡高取町壷阪3番地 -
位置・海抜北緯34.4度、東経135.8度、海抜280.6m
-
開閉門時間8:30〜17:00
-
参拝料/拝観料大人 600円
小人(高校生以下) 100円
幼児(5才以下) 無料
※障がい者の方は 300円となります。障がい者手帳をご提示いただきます。 -
授与所の開いている時間8:30〜17:00
-
お問い合わせ先
-
電話番号
-
ホームページ
-
SNS
-
重要⽂化財有無あり
-
寺務所あり
引用元
https://www.tsubosaka1300.or.jp/
宝物・什物
- 重要文化財礼堂1103年再建 室町時代 この御堂は本尊を礼拝するために建てられた。当寺の創建当初から、建てられていたと伝わっている。但し、1096年に焼失するが、1103年に再建された。その後鎌倉時代初期に焼失し、直ちに再建されるが、室町時代初期にも焼失。その後再建されるが、江戸時代には、模様替えなど大改築がなされ、規模も縮小された。 昭和解体修理時に行われた地下発掘調査並びに残存していた部材から、室町時代の禮堂の姿が判明し、御堂の大きさ等を室町のそれに戻して、建てられている。 組物の方式は東大寺法華堂礼堂や、般若寺楼門にみられた室町時代中期にみられた手法である。
- 重要文化財三重塔1497年明応6年(1497)再建 三重塔では初重寸法が十三~十五尺の例が一般的で、十五尺級が最も多く、総間を三十二枝とし、中央間十二枝、脇間十枝とする例が多い。 当三重塔はその例であり、二重は総柱間で二十八枝、三重は二十五枝で、二重中央間を十枝とする他はすべて一枝落ちとしている。 総高は初重総長の五倍である。 注目されるのは構造で、通常、手先の肘木を内側に延ばしてつなぐが、二段目、三段目の肘木もつないで構造を強化している。 平成22年着、平城遷都1300年を記念して再建以来初めて初層開扉内拝が行われる。
- 重要文化財鳳凰文せん飛鳥時代奈良国立博物館寄託 岡寺で出土したと伝えられる文様せん。 左右の翼をひろげ、尾を大きく巻き上げ、端雲の中で足を踏ん張る鳳凰の姿を、美しく力強く表している。鳳凰は想像上の端鳥で、唐時代の鏡・百済の文様せん・統一新羅の瓦などに、同様の表現がみられる。この鳳凰文せんと同じ大きさのせん(ひざまずく天人の姿を表した天人文せん)岡寺に伝わっており、これらは創建当時の岡寺の仏殿の須弥壇を飾っていたものと推定されている。
境内施設
- 天竺渡来 大観音石像昭和58年3月 開眼 全長20m 全重量1200t 天竺渡来大観音石像は、インドハンセン病救済事業のご縁でインドからご招来したものである。 インド国民の協力と南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府や様々な方のご支援で、提供され、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。 20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。 この巨岩を支える土台は深く基礎岩盤にまで掘り下げられ、数万巻の写経と土台石が埋納されている。 また、胎内には数万巻の写経と胎内石が納められ、66個の石が1本の巨石となっている。 この大観音石像はインドの文化勲章受章者シェノイ氏及びその一門によって製作されたもので昭和58年3月12日開眼法要が営まれた。
- 天竺渡来 大涅槃石像平成11年安置 全長8m 大観音石像と同じく、インドにおける奉仕事業のご縁で始まった国際交流・石彫事業の一環として製作された。 涅槃像はすべての教えを説き終えて入滅せんとする釈迦の姿を顕している。 釈迦の最後の説法は「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」自らを灯明とし、自らをよりどころとし、法を灯明し、法をよりどころとすることを説かれた。 釈迦がいる、いないにもかかわらず自分を頼りとし、正しい教えを頼りとすることを意味している。
- 大講堂平成12年落慶 本尊 弘法大師像(鎌倉時代) 堂内には500人以上が収容できる。 毎月18日(2月は3日・6月は除く) 観音様ご縁日(当山住職・法話会)を開催 ・・・参加無料(要予約)
- 天竺渡来 大釈迦如来石像平成19年11月開眼 身丈10m 台座5m 御前立 十一面千手観音菩薩像 身丈3.3m 台座1.5m 文殊菩薩石像 身丈3m 台座2m 普賢菩薩石像 身丈3m 台座2m インドでの奉仕活動のご縁から始まった国際交流・石彫事業の一環で、製作された。 21世紀初頭より、世界中で起こった暴力や中傷などによって痛んだ心を癒やすため建立された。 また、先に招来した大観音石像、大涅槃石像も拝し、心を大きくして、周りの人へと自然に思いやりの心を広く、深くして頂きたい。 文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」を普賢菩薩は「行」観音菩薩は「慈悲」を表している。
- 仁王門建暦2年(1212)建立 貞慶解脱上人が建立に係ったと伝わっている。 室町期と安土桃山期に大修理を加え、昭和には解体修理を行ったが、平成10年の台風により屋根が半壊したので、平成15年壷阪寺開創1300年を期して、防災上の見地から建立場所を現在の場所に移し、再度解体修理を行った。 仁王尊は各、一丈一尺の大きさであり、背後からの釣金の助けなく立たれている。
- 多宝塔平成14年4月落慶 本尊 大日如来(平安時代) 多宝塔の外見は二重塔であるが、本来は一重の宝塔のまわりに裳階がついた形であって、発生的には二重塔ではない。 宝塔とは、円形の燈身に宝形造の屋根をのせたものをいい、多宝塔の上重の腰が円形で、上に丸みがついているのはその名残りである。 多宝塔は9世紀に天台・真言の密教が興ってから密教寺院で建てられた塔である。 この度、平成15年壷阪寺開創1300年を迎えるにあたり、この宝塔の建立を発願し、多くの信徒の勧進により建立された。
- 灌頂堂平成17年4月落慶 本尊 十一面千手観音菩薩(室町時代) 豊臣秀長公像・本多俊政公像安置(安土・桃山時代) 壷阪寺は子島流(小島)または壷坂流と称される真言宗の一流派の道場であった。その教を伝えるための灌頂堂は平安時代に建立されていたと推察される。 その後、二度の大火に遭いながら、その度ごとに再建されていたと伝えられている。 15世紀にまた大火の難に遭うが、その後再建の記録は見受けることはできない。 平成15年に迎えた壷阪寺開創1300年を期に当山の重要な御堂の一つであった灌頂堂再建を発願した。御堂再建に際し、慶長年間、当山伽藍再興に尽力された高取城主本多因幡守が寄進した因幡堂(いなばどう)の部材の大部分を用い、老朽化した部材を新調すると共に、旧因幡堂の幅と奥行を拡げ、現在の正面五間、奥行四間の御堂として再建した。 また、御堂には本多公の尊像を安置し大和大納言豊臣秀長の家臣であり、戦国の戦乱で疲弊した壷阪寺再興に尽力した本多一族の遺徳を顕彰している。
- 慈眼堂平成18年秋 落慶 澤市投身の谷の横に、江戸時代に建立された阿弥陀堂がありました。 宝暦元年(1751)に建立されたと寺の記録には記されております。本尊は阿弥陀仏が奉られたり、或いは時代によっては観音堂として、壷阪の伽藍の一翼を担った記録もあり、江戸時代から明治・大正時代の壷阪寺の主要な御堂であったことが解ります。 しかしながら、御堂の建立場所が山間の湿気にさらされる場所であることから、御堂の傷みは激しく、昭和40年代の初めには屋根の半分を取り替えるなど、様々な処置がなされてきました。 平成16年秋には抜本的解決策を見つけるため、試験的に屋根の構造調査等を行った結果、予想以上に酷く痛んでいることが判明しましたので、解体修理を行うと共に、平屋のお堂にしては、立派な大柱と先般参拝通路新設のため取り壊した回廊の部材を有効利用するため、二層目に阿弥陀堂にあった阿弥陀仏を奉り、初層には平成23年の澤市開眼350年を記念して創られる夫婦観音像のご分身を奉り、新しい御堂を「慈眼堂」としました。 堂内にはインド・ムンバイ在住の画家カーマット氏によるお釈迦様の佛伝図を揚げ、お釈迦様が説く「慈悲」を考えて頂き、思いやりの心を広く深くして頂きたいと思います。 建立の際は、古い木材・瓦も無駄にすることなく製材させて頂き、天井等は洗浄することにより往時の鮮やかさを復元しています。 江戸、昭和、平成の人々の手が時代を超えて合わさり、建立された御堂です。
- 八角円堂創建 大宝3年(703) 本尊十一面千手観世音菩薩を祀る八角形の御堂。現在の八角円堂は江戸時代の再建と言われる。 八角堂の著名な遺構としては法隆寺東院夢殿・栄山寺八角堂・興福寺北円堂などがある。 壷阪寺の本堂は日本で初めて建立された八角堂ではないかという学説も出ている。
- 天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」昭和62年安置 高さ3m 全長50m 重さ300t このレリーフは、南インド、カルナタカ州カルカラにおいて、延べ5万7,000人の石彫師の手によって、インドの石に彫刻され製作されたものである。 原図は、奈良教育大学教授小川清彦氏がインドを旅し、釈尊の道を訪ねて構図をまとめたもので、数百に及ぶ佛伝図の中から、比較的誰でも知っている釈尊の道が描かれている。 このレリーフは、高さ3m、全長50m、重さ300tに及ぶ大石造美術であるが、インドでは、輸送の都合上各場面を数個に分断し彫刻された。 そしてその結合・修正は、高松市郊外庵治町で行われたが、本体の彫刻は何千年もの間、石を刻んできたインドの人たちの技術をそのまま見ていただくように、いっさいの修正を加えなかった。またレリーフを支える基壇の石は、先に壷阪寺に安置された大観音石像と同じ古石が使われている。
- 天竺渡来 大石堂(納骨永代供養堂)インド・アジャンタ石窟寺院をモデルとし延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻、組み立てられ、総重量1,500tにおよぶ壮大な石の御堂。最奥部には納骨室を設けており、皆様のご先祖の御霊を慰霊することができます。
- めがね供養観音全長3m 壷阪観音は眼の観音さまとして古くから信仰があり、そのご縁で眼に関係する物の奉納供養の相談は色々とあります。 その中で、眼の弱い人の生活を補ってきた「めがね」のご供養の相談も多数ありました。 古くなった「めがね」は、産業廃棄物として処分されますが、余りにも忍びがたく、日夜人の役に立ってきた「めがね」に感謝し、その功徳により眼の健康にご加護頂くため、インドで観音像を制作していただき、観音様のお姿を美しく見て頂くため、石を分割し、それぞれ彫刻し、その後、当寺で組み立てられました。 古いめがねやコンタクトレンズは台座に奉納供養されます。 毎年10月18日に本堂にてめがね供養会法要が営われます。
- 五百羅漢この時代、奥の院とも称される本堂の東北麓、香高山斜面の岩肌に刻まれた石仏群がある。これは五百羅漢として知られ、他に二十五菩薩像、五社明神像、両界曼茶羅などが点在する。
引用元
https://www.tsubosaka1300.or.jp/
表示するデータがありません。
引用元
https://www.tsubosaka1300.or.jp/
アクセス
所在地
〒635-0102
奈良県高市郡高取町壷阪3番地
アクセス
近鉄「壺阪山駅」下車 バスまたはタクシー
駐車場
あり
駐車料金(1日):普通車 500円/バス 2,000円/自動二輪 200円
駐車料金(1日):普通車 500円/バス 2,000円/自動二輪 200円
引用元
https://www.tsubosaka1300.or.jp/